私が住んでおります街の裏山の麓に姫路藩家老の河合寸翁が設立した仁寿山校がありました。この学校に、『日本外史』で有名な頼山陽が4回招聘されて学生たちに真の学問とは何かを教えたと聞き、頼山陽を追いかけて広島の頼山陽史跡資料館に行ったことがあります。今から25年前のことです。その時に特別展示があり頼家に伝わる算木と筮竹を見る貴重な経験をしました。記憶が朧気でもう一度しっかり見たいと思うのと、皆さんに紹介したいと思い(ホームページに掲載)意を決して、頼山陽史跡資料館様にお願いし、今回調査に行かせていただきました。その詳細内容はホームページ「易と歴史」>頼山陽>『易経』と頼山陽>頼家に伝わる占筮道具に掲載しております。
頼山陽史跡資料館に関しましては、ホームページがありますので見てください。ここでは頼山陽史跡資料館にあります史跡頼山陽居室などの写真を紹介致します。
頼山陽史跡資料館の入口
徳富露峰筆の「頼山陽先生日本外史著述宅跡」の石柱。被爆して折れ、修復されたものです。
頼山陽先生の座像です。入口から撮影しています。
頼山陽史跡資料館のエントランスです。紅葉が美しかったです。(パノラマ撮影)
史跡「頼山陽居室」頼山陽が脱藩騒動を起こして5年間この居室(復元)で幽閉されていました。山陽は幽閉中、この居室で『日本外史』の草稿を執筆しました。
史跡 頼山陽居室と文人庭(パノラマ撮影)
被爆樹木クロガネモチ(被爆後5年目に根株から再び芽を出し、現在では5mに成長しています。生命力に驚きます。)
◆お土産を買ってきました。(学習用に購入しました)
左から
・頼山陽史跡史料館 令和5年度企画展 すっぽらぽんと生きる ~頼 静子の生涯と日々の記録~ ※すっぽらぽんとは、ぐあいよく物事の行わ
れるさまで「守るべき「道」以外のことについては、あまり思い悩むな」の意。父が頼
家に嫁ぐ静子に送った言葉。
・頼山陽史跡史料館 平成二十八年度特別展 頼家と広島の医学 頼山陽史跡史料館特別展示実行委員会発行
・頼山陽史跡史料館 平成二十九年度 企画展 頼山陽と酒 ~一杯一杯復一杯~
・頼山陽史跡史料館 浅野氏広島城入場四〇〇年記念 企画展 広島藩の学問と文化
幕末クロノジー(表裏全長5.7m)幕末絵巻幕末年表で楽しく学べそうです。
幕末手帖 読んで納得の「学べる」実学手帖
◆頼山陽に関連するお酒です。飲み比べセットです。
左から、「黒松剣菱」頼山陽が好きなお酒で武士の酒とも言われています。赤穂浪士討ち入りの際に飲んだ酒も黒松剣菱です。180ml17度 剣菱酒造㈱ 創業1505年 神戸市灘区御影のお酒です。
「青一髪(せいいっぱつ)」文政元年八月(1818年)頼山陽が西海天草灘の展望を詠んだ名吟の冒頭をこの焼酎に名付けたそうです。「海と空は髪の毛一筋でつながっている」という意味。720ml25度 本格麦焼酎㈱久保酒造場 長崎県南島原市のお酒です。
「鯉魚城」広島城の異名は鯉城といい、頼山陽の長男聿庵が広島城を「鯉魚城」と表現したのが最初だそうです。聿庵は能書家で「三谷春」の酒票の字は彼の揮毫だそうです。聿庵自筆の「鯉魚城」と雅号印をあしらったオリジナルラベルの「三谷春」です。180ml16度 清酒 純米大吟醸 林酒造㈱ 広島県呉市のお酒です。
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